INTPにこの世はかなり難しい

なんとか人間やってます

A24『X』感想

※ネタバレありの記事なので、未視聴の方はご注意ください。

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『パール』の世界観にいまひとつノリきれなかったのは『X』を観ていないせいかも?ということで、さっそくAmazon Videoで視聴。どれくらい怖い作品か分からないので、深夜にビビりちらかしながら怖さ対策で画面の半分をDiscordとTwitterとYoutubeで埋めて観たら、意外となんとかなった。Jump scareの類がほとんどないのもありがたい。

基本的に親とか祖父母のセックスシーンなんて観たくないよね……かといって20代30代のセックスシーンも別に観たくはないよ……って感じなのだが*1、世の人々ってそんなに若さとかセックスが大好きなのかな。世の人々っていうか、アメリカの人々?よく分からん。ハリウッド映画のラブシーンとか、最初から作品内容に含まれていて強制的に見せつけられてるから視界に入れざるを得ないだけで、なくても一向に構わないのだけれど。『X』は若さやセックスに執着するアメリカ社会を批判するつもりでそういうシーンを入れているのだろうか……特にそんなふうには感じられなかったが……。

しかし『X』が若くて綺麗な美男美女の性欲・セックスシーンを肯定的に描く一方で、醜い老人カップルの性欲・セックスシーンをホラー案件として扱っているのはただのエイジズムとルッキズムにしか思えず、Ti Westはそのあたりのことについてはあまり深く考えていないんだろうな(『パール』と『X』を観た限りでは)、といった感じもする。

老化と若さ(セックス)への執着

「性的に欲求される対象としての若さに執着する老女」という手垢まみれの陳腐なステレオタイプに対して、「性的に欲求される対象としての若さに執着する高齢男性」をうまく描けていないのでないか?と点には非常に無自覚で無頓着な作品だと感じた。

作中で「性的に欲求される対象としての若さに執着する高齢男性」に一番近いのは映画プロデューサーのウェインで、いつまでも若者気分を手放せず「若い女をコマしてる俺はまだまだ現役だぜ」とか勘違いしていそうな中年男性なのだが、若さとセックス(性欲)を直結させて執着する人間って、基本的に女性よりも男性の方が多いよね。007シリーズがボンドガールにジェームズ・ボンドの娘くらいの年頃の若い女優ばかり起用する理由を考えてごらんよ。

しかもその手の「若さ」をありがたがる連中って質を度外視した形式的な「男性機能(勃起能力と射精能力)」ばかり崇拝して、マカやらマムシやらスッポンやらアルギニンやら妙ちきりんな精力増強サプリを買いこみ、いくつになっても若い女にセックスさせてもらわないとセルフケアすらままならないという……。

自分よりも若い女性の身体(の内臓)への異物挿入を欲望する性欲と、doableなセックスの対象として選ばれたいという優越感への渇望と、性欲減退・男性機能低下による自己肯定感の低さを原動力とした実在系中高年男性による現実の性加害の方がよほどグロテスクで生々しいサイコホラーだ。しかも悪役が少人数に限られているフィクションのホラー映画と違って、自分の「男らしさ」を再確認するためだけに若い女と一発シケこみたがる潜在的加害者予備軍は掃いて捨てるほどいる。

2017年に炎上した男性誌『GG』の美術館でのナンパ指南などその最たる例だが、実はその5年前、2012年の時点ですでに「文化系説教ジジイにモテない方法」なるものがtwitter上で世に拡散されている。もちろん、美術館で若い女性をターゲットにセクハラするジジイを若い女性がシッシッと追い払うためのハウツー情報であり、若い女と見るや否や目の色を変えてにじり寄ってくる年寄り男性たちが、本物の若い女性たちからはいかに蛇蝎の如く嫌われているかがよく分かる。

togetter.com

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舌舐めずりしながら若い女性の背後に抜き足差し足で忍び寄っていく薄気味悪い中高年男性・高齢男性のセクシャルな加害欲は、あらゆる時代、あらゆる地域の女性たちからも常に要警戒対象として認識されていると思うのだが、監督兼脚本家のTi Westには全く見えていないのだろうか。まあ、でも、若い女の尻しか眼中にない高齢男性は若い男の尻に寄っていかないものね。

自主的な窃視と強要される窃視

映画内のウェインが率いる一行は、ポルノ映画を撮影するために集まっている。そして映画に登場するポルノ映画用のセックスシーンは、不特定多数の他者に窃視させる形で観てもらうために演じるパフォーマンスとしての行為だ。ジャクソンとボビー・リンの親密な関係も、完全オフのシーンは別として、RJのカメラで録画しているあいだは業務の一環として、観客に窃視させるために演出したフィクショナルな人間関係である。(そういう意味で、動物小屋の覗き穴から外を見ていたウェインがパールに両目を串刺しにされたのは皮肉だ。)

撮影クルーが仕事として演じる親密な人間関係やベッドシーンが半ばパブリックな空間と時間であるのとは対照的に、ハワードとパールのベッドシーンやその直前の会話は、外界から完全に閉ざされた、他者の視線が介入することを許容しない、ハワードとパールのためだけのプライベートな空間と時間だ。実際にはマキシーンがベッドの下に隠れている(&別次元の観客がカメラ越しに窃視している)ものの、ハワードとパールの視点ではあくまでも「自分たちの他には誰もいない、二人きりの空間と時間」である。

邦画にしろ洋画にしろ、観客による窃視を暗黙の了解としたパブリックなベッドシーンが多すぎるので感覚が麻痺しがちだが、一部の特殊な演出を除き、大抵のベッドシーンは観客が本来見るはずのない状況をこっそり盗み見する構造である。作中でウェインのプロデュースしていたポルノ映画も、基本的にはポルノ映画の観客が登場人物たちの交流やベッドシーンを窃視する構造で、『X』の観客はポルノ映画の撮影現場をさらに外側の視点から窃視する、という入れ子構造になっている。

ジャクソンやボビー・リン、マキシーン、ロレインのように若い美男美女の、黒人男性と白人女性が絡み合うベッドシーンは躊躇いなく窃視できるのに、ハワードとパールのベッドシーンは窃視することを強要されているように感じるのだとしたら、それは観客のエイジズムとルッキズムの問題だ。そして物語の根幹となるホラー要素がエイジズムとルッキズムに立脚しているのであれば、それはもうホラーではなく、現実の偏見や先入観にフリーライドしただけのただの差別的な語りだろう。*2

 

『パール』はキリスト教信仰と表裏一体的な家父長制の煮凝り感が強烈で、また煮凝りに対する批判要素があまり感じられない作品だったが、『X』もそれなりに煮凝っており、これで『MaXXXine』まで煮凝りだったらどうしよう。「女が主導権を握ると何事も失敗する」という陳腐なストーリーの型を『MaXXXine』では脱却できるとよいのだけれど。

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*1:これまでの映画人生で面白かったセックスもといベッドシーンは『恋するベーカリー』の、主人公のジェーンが元夫のジェイクとうっかりワンナイトしちゃった翌朝の場面だけである。大学生のときに「いや、そうはならんやろ」とあまりに面白くてお腹を抱えて笑っていたら、母親に「アンタの歳でこれをそんなに笑うのは……」とやんわり嗜められた。面白いのに。

*2:テキサス州は異人種間の婚姻を法的に認めたのが最も遅い州の一つで、アメリカ合衆国の最高裁判所が1967年に異人種カップルの結婚禁止は違憲だと判決を下すまで、黒人と白人のカップルは結婚できなかった。20世紀よりもずっと寛容な時代になったとはいえ、現代でも異人種の結婚(interracial marriage)は賛否の分かれるデリケートな話題で、アメリカのテレビ番組『What Would You Do?』でも様々なシチュエーションで繰り返されているテーマだ。

黒人男性のジャクソンが白人女性のボビーやマキシーン、ロレインと次々に関係を持つウェインのストーリーは、1979年のテキサス州であれば倫理的に誤った物語として扱われ、道徳の欠如、おぞましき退廃、神への冒涜、観る者の魂を堕落させる悪魔主義、などと大々的に批判されただろう。