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『映画刀剣乱舞ー黎明ー』感想

※ネタバレありの記事なので、未視聴の方はご注意ください。

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映画版刀剣乱舞の第二段『黎明』を観てきました。
ガッツリネタバレしてるので未視聴の方はブラウザバック推奨。

 

本家ゲームの大侵寇や派生の刀ステでは山姥切国広が三日月宗近を探し回っていたが、今作『黎明』では三日月宗近が山姥切国広を探し回るよ!と立場が逆転した展開に。また、前作『刀剣乱舞ー継承ー』(2019)では全刀剣男士が同じ本丸出身だったが、今回は他の本丸から出陣してる男士がいるため、普段はなかなか見られない「初対面の刀剣男士間のコミュニケーション」が見られて楽しい(どの刀剣男士が他本丸出身かは観てのお楽しみ)。前作『継承』とは画面の色味やカメラワークもかなり変わっていると感じたため、『継承』の続編と言うよりも、完全な別作品・別本丸の物語と考えた方が素直に受け止めやすいように思う。『継承』に比べてわりとご都合展開多めというか、あんまり細かい事気にしたら駄目です。アレ?と思った部分は「この世界のお約束」として、そういうものなんだなあと思ってスルーするのがおすすめ。タイムフレームどうなってんだとかいつ場所移動したんだとか、そういうツッコミはいったん脇に置いてください。

とりあえず本家ゲーム含め、これまでに公開されたメディアミックス作品とは違う世界観の物語を目指してはるんじゃないかな?三日月宗近に色々背負わせすぎ問題からの脱却とか。あとほとんど爆発シーンがないし、建物も燃えないし、西川の兄貴もいません。悲しい。

以下、個人的な感想~刀剣乱舞全般に感じるモヤモヤも絡めて~

 

〇映画冒頭の酒呑童子討伐で提示した問いかけが未消化
前作『継承』で「歴史を守るとは、事程左様に難しい……」と踏み倒された野花を拾い上げる三日月宗近はどこへ行った?あ、別本丸の三日月なんだっけ。審神者も雑面つけてるし。(『継承』の審神者さんは『黎明』で髭切と膝丸の仮の主・倉橋を演じている)

本家ゲームはアイヌや琉球への目配せが弱く、刀ミュもフロンティア精神満載で和人が植民地化した地域(蝦夷地)に住むアイヌ民族の被害などこれっぽっちも考えてませ~んという状態なので、映画冒頭の酒呑童子討伐で提示された「朝廷(都会に住む富裕層のマジョリティ)の政治的都合によって討伐対象・皆殺しにされる周辺地域のマイノリティとしての酒呑童子たち」(及び『正しい歴史の流れ』という大義名分でマイノリティの虐殺を「仕方がないこと」と扱う行為への疑義)におやっ?刀剣乱舞ついに始まったか??とテンション上がりましたが、特に何も始まりませんでした。刀剣乱舞の世界はいつだって侵略者としての和人(と天皇家)に優しいし、酒呑童子討伐の命を下すのは藤原道長であって一条天皇ではない。(でも酒呑童子伝説には大江山系と伊吹山系の二大系統がありますよね〜知ってますよ~という目配せはちゃんと忘れない)

もしもし酒呑童子さん?刀剣男士の2012年出陣をもっともらしく見せるために便利な装置として利用されてますよ??もう一度日ノ本を破滅に導いてもらっていいですか???呪いの対象は和人限定で、アイヌ民族とか琉球民族とか在留外国人とか抜きの方向で調整お願いしま~す。

 

〇貧困層の子供を富裕層の子供に感情論で諭させるストーリーがぐろい
山姥切国広の仮の主・伊吹は高校生くらいの少年で、ボロボロの集合住宅(狭いワンルーム?)に父と弟の三人で暮らしているが、ポストには借金の督促状が溢れており、父親から日常的に身体的虐待を受けている(受けていた)。また、父親に暴力を振るわれた直後、少し目を離した隙に幼い弟タクミが単身外出し、ひき逃げ事故で亡くなったという過去を持つ。本来であれば行政の介入によって保護・支援されるべき社会的弱者であり、伊吹自身も「誰も助けてくれなかった」と嘆いているが、その一方で、タクミの事故死は自分の不注意によるものだと自分で自分を責めてもいる。(しかし伊吹は当時未成年、おそらくまだ中学生……)

伊吹は時間遡行軍と酒呑童子に洗脳され、「人々の想い」を集めれば、自分のせいで心の壊れてしまったタクミを元に戻せると信じこんでいる。本当の弟は既に交通事故で亡くなっているため、実際には人々の想いを寄せ集めたエネルギー体のような生き物を相手に兄弟ごっこをしているだけなのだが、三日月が「弟の形をした何か」を斬るまで、伊吹はその生き物が実の弟だと信じて疑わない。そして、タクミの死を思い出した伊吹が絶望し「弟が死んでしまった世界なんてどうでもいい」と心を閉ざした結果、酒呑童子が伊吹の身体を乗っ取って現実世界でえらいこっちゃな計画(観てのお楽しみ)を本格始動する。

三日月宗近ら刀剣男士は『正しい歴史の流れ』を守ることが使命のため、伊吹の弟の事故死を防ぐといった歴史修正的介入は行わないし、自然発生的に起きた出来事であれば『正しい歴史の流れ』の一部として受け入れる立場を取る。だから『正しい歴史の流れ』を乱す要素があれば適宜排除して軌道修正はするが、必要以上の要素変更(例えば伊吹の弟が事故死しないように過去を修正すること)はしない。伊吹がどんなに苦しみ絶望していても手助けしないし、手助けしてはならないのが刀剣男士のため、周囲の手助けを必要としているのに助けてもらえない子供である伊吹とはすこぶる相性が悪い。しかも、刀剣男士は伊吹の弟を助ける能力があるにも関わらず、過去への介入を最低限に留めるため意識的に「助けないこと」を選択しなけらばいけない。伊吹にとって刀剣男士は「自分とタクミを助けようと思えば助けられるのに助けてくれない者」として、普通の人間の大人よりもより一層絶望感の深い存在だろう。

そこで三日月宗近の仮の主・琴音が、伊吹の弟の形見に宿った想いを励起し、伊吹に世界を諦めないよう説得・酒呑童子のえらいこっちゃな計画を止めることに成功するのだが……三日月宗近の仮の主・琴音は、都心(おそらく東京・神奈川近郊)の私立の女子高校に通う高校生で、バンド活動はしているがバイトをしている風でなく、「ノイズが聞こえる」と悩みを打ち明けたらワイヤレスヘッドフォンを譲ってくれる親友がいるような境遇である。なお、このワイヤレスヘッドホンはプレゼント前提の購入品ではなく、琴音の親友が個人的に使っていた物を譲り受けており、譲った本人は同じ商品を自分用に再購入している。(ワイヤレスヘッドホンってそんなに安い物ではないような…)

いや、分からんよ?もしかしたら琴音も父子家庭で家庭内暴力受けててボロボロの集合住宅(狭いワンルーム?)に住んでるかもしれないよ?作中で全く言及されないだけで。ただね、樹海みたいな森で一人倒れていたのに時間遡行軍に才能を見出されてしまった伊吹と、エレキギター(ベース?)のケースを背負って綺麗に舗装された川沿いの遊歩道と友達とお喋りしながら登下校する琴音と、映画内で描写されるそれぞれの社会的境遇の違いがえっっっぐいのは確かよ。とはいえ楽器のケースも抜き身の三日月を持ち運べるようにするための一種の装置なので……(剣道部設定じゃだめだったのか……ダメなんだろうなきっと……部活の練習で拘束時間発生すると病院の面会時間に間に合わないもんね……)

ちなみに細かいことツッコむと、伊吹が立ち直る一番のきっかけは弟の形見から励起されたタクミの肉声(お兄ちゃんありがとう、大好きだよ、的な過去の発言)や、タクミとの幸せな記憶(形見の来歴)なので、琴音の説得だけが理由で立ち直ったわけじゃないんだけど、山姥切国広の「これがお前の本当に望んでいることなのか」とか、琴音の「あなたの心の声を聴いて」とか、説得方法が王道まっしぐら(ベタとも言う)で途中から飽きてました。あとあの三日月宗近は肝心の説得フェーズで「人の役割」なるフレーズを口に出してしまっていて、かなり交渉下手だと思う。私が伊吹だったら「なら俺の役割とは何だ、言ってみろ」って即キレてる。

2205年(23世紀)という未来からやって来た刀剣男士が、彼らにとって200年近く過去の時代(2012年/21世紀)の出来事を『正しい歴史の流れ』の一部として仕方がないと肯定することと、現代(2022年/21世紀)を生きる人間が2012年の出来事を『正しい歴史の流れ』の一部として仕方がないと肯定することには大きな隔たりがあるはずなのだけれど、『黎明』の伊吹説得シーンを見ていると、両者の違いを曖昧にしつつ被害者(伊吹)に泣き寝入りさせる方向にしかなっておらず、しかも伊吹に泣き寝入りさせた方が最大多数の最大幸福に近づく方向で話が進んじゃってるんだよね。子供を守る気がない保護者(大人)のせいで苦労させられてる貧困層の子供を、富裕層の子供に精神論で説得させて心の折り合いつけさせる流れは、観ていてかなりつらいものがあった。加えて親の所得や在住地域による子供の家庭環境の格差をこれでもかと観客に見せつける演出……つらい……。

実際問題、琴音みたいな環境で暮らす人は、伊吹みたいな境遇の人について意識することってほとんどないんだよね、伊吹は虐待のない家庭や普通の高校生活を夢見ることはあっても、というエグさが更なる追い打ちをかけてくる。東京国立博物館ですれ違っても二人とも気にしてないからお互い様、というレベルではない。伊吹は年長の学芸員さんにマンツーマンで個人解説してもらってる一風変わった入館者(しかも琴音と同い年くらいの男の子)で女子高生の集団の中で浮いてる存在のはずなのに、琴音は視線すら向けないという無関心さ。自分と同じクラスの女子高生が何人もいる空間に、同い年くらいの私服男子が学芸員さんと一緒に歩いてたら少しは気にならんか?「誰?何者?」みたいな。ならんか、そうか……そんなことが気になるのは私だけか……。

 

〇平安京(995年)と本丸(2205年)の時間軸だけでも十二分に面白い設定なのでは?
平安京での藤原道長と安倍晴明のアイコンタクト取りながら薄笑いとか、酒呑童子討伐の夜の森で鎧甲冑がカチャカチャ鳴り響くのとか(後者はもしかしたら効果音足して音派手にしてるかもだけど)、映画冒頭は本格的時代劇ならではなヤツそういうの大好きもっとやってくださいお願いしますプロのお仕事最高ありがとう!!!な気分だったので、あれ以降平安京が一切出てこないことに拍子抜けしてしまった。『継承』の織田信長は最初から最後までチョコたっぷりのTOPPO並みにぎっしり詰まってたじゃん……「酒呑童子がいます」は言い訳だよぉ……頼光四天王が酒呑童子討伐失敗、むしろ頼光四天王が返り討ちに合ってしまい歴史の流れが変わろうとしている、急いで歴史改変を阻止せよ、みたいな流れでもめちゃくちゃ面白いよ……?スクランブル交差点で時間遡行軍の大軍を相手にくんずほぐれつの大乱闘を繰り広げる刀剣男士の一団ももちろん頼もしくはあるが……いくら現代(2012年)のストーリーを壮大に華々しく見せたいからって、酒呑童子討伐の舞台装置感強すぎない?酒呑童子討伐に関わる人々の扱いがちょっと雑すぎない?特に朝廷の身勝手な都合で謀殺された酒呑童子とか……事件の黒幕として暗躍してました~重要ポジションだからスクリーンに登場する時間もそれなりに長いです~ってだけで「扱いの軽いキャラではない」とは言えないよね。

現代の時間軸もあれはあれで面白かったけど、「2012年」という西暦を見ると、どうしても2011年の東日本大震災を連想してしまうし、でもそのわりに震災の影響をちっとも感じさせない都心近郊の空気感の演出にちょっと引いた。私が見逃してるだけ?2012年という舞台設定、おそらく酒呑童子の呪いが解ける1995年に生まれた伊吹が2012年に17歳(高校2年生の年齢)になるので、たぶんその関係なんじゃないかな〜とは思いつつ、2015年の方が本家ゲームのサービス開始年と合うので、いっそ20歳の伊吹が大暴れするのでよ良かったんじゃないかな……その方が「人々の想い」をいっぱい集められるし……原因不明の意識混濁患者が実は全国各地で過去5年以上に渡って何百件も発生してましたって方が不気味だし……ストーリーの壮大さにも説得力が出るし……弟的なエネルギーの集合体の濃縮度合いも納得しやすくなるし……。

 

〇刀剣乱舞の世界観を現実世界の現代日本とリンクさせようとすることの危うさ
これは刀剣乱舞の世界観が内包する構造的な問題だけど、刀剣男士は相手が995年の人間でも、1528年の人間でも、2012年の人間でも、基本姿勢は「『正しい歴史の流れ』の一部だから仕方ないね」だし、『黎明』の現代の部隊設定が2023年に変わったとしても「『正しい歴史の流れ』の一部だから仕方ないね」としか思わないだろう。10世紀末の出来事も、16世紀半ばの出来事の、21世紀初頭の出来事も、2205年(23世紀)の視点からでしか語る術を持たないからだ。

そういう登場人物がメインの物語を現実世界の現代日本とリンクさせようとすると、例えばこういう疑問が生まれてくる。行政制度や福祉制度の手落ちで虐待を受けてる子供に支援の手が差し伸べられないのは『正しい歴史の流れ』の一部ってこと?とか。東日本大震災で大勢の人々が亡くなり、寺社仏閣など「想い」のこもった物品すらも海に流されてますが、語り部となる人も付喪神の宿っていそうな物品も存在しなくなった現代の状況は『正しい歴史の流れ』の一部ってこと?とか。2023年現在なら、さしずめ、カルト集団ズブズブ政党がいくら不祥事起こしても政権与党としてのさばり続けるこの状況も『正しい歴史の流れ』の一部ってこと?

物語世界内で23世紀視点の刀剣男士が「『正しい歴史の流れ』の一部だからこのまま様子見するしかないんだよね」となるのは仕方ないけどさ。現実の人間が現実の人間に向けて、架空のキャラクターを使ってそういうメッセージを発信してしまっている状況は、ちょっとマズいんじゃないですかね。一応刀剣男士に「語り継げ、それが人間の役割だ」的なことも言わせてるけど、語り継ぐだけでOKなんですかね?知らんけど。